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巨星墜つ・・・

kage

2018/01/06 (Sat)

今朝,正月ボケが解消される間もなく,目を疑うようなニュースがネット上を駆け巡りました!

星野仙一さん膵臓がん急死の衝撃 最期は娘2人に抱かれ
 楽天球団副会長で中日、阪神、楽天で監督、北京五輪では日本代表監督を務めた星野仙一氏が4日に亡くなっていたことが5日、分かった。70歳だった。現役時代は「燃える男」との異名がついた気迫のピッチングで通算146勝をマーク。「闘将」と呼ばれた指揮官としては、率いた3球団すべてを優勝に導き、楽天では日本一に輝いた。昨年1月には野球殿堂入りを果たし、1か月前には元気な姿を見せていたばかり。日本球界の発展に多大な功績を残した“巨星”の訃報に、球界は大きな衝撃が走った。 

 球界関係者によると、星野氏は膵臓がんで闘病中だった。一昨年に告知されたものの、周囲には一切知らせず、球場で持病の股関節が痛んでも「(楽天の)トレーナーに診てもらうとバレるから」と治療も受けなかったという。年末には家族でハワイ旅行を計画していたが、体調を崩し急きょ中止に。家族と正月を迎え、おせち料理も楽しんだが、2日に倒れ、容体が急変。4日午前5時25分に愛する家族にみとられ、旅立った。最期は2人の娘に抱きかかえられ、その表情は安らかだったという。

 すでに5日に親族だけで通夜を済ませており、今日6日に密葬を執り行う。お別れの会は後日、行う予定だ。

 星野氏が最後に元気な姿を見せたのは、昨年12月1日、大阪市内で行われた自身の「野球殿堂入りを祝う会」。ソフトバンク・王会長や阪神・金本監督らの球界関係者だけでなく、政財界、芸能界などから約950人が集結した。この席で星野氏は自身が監督を務めた阪神と楽天の「甲子園球場での日本シリーズ」実現を熱望し「私が生きている間にやってもらいたい。自分の夢だ」とあいさつ。金本監督らに猛ゲキを飛ばしたばかりだった。

 それだけに出席者からは「少しやせた印象はあったものの、口調はいつもの星野さんでした。まさか病気だったとは…」との声が。すでに闘病生活を続けていたものの、自分のために集まってくれた周囲を心配させないよう、いつも通りの姿を見せようと努めていたのだろう。

 そんな星野氏を支えていたのは強い「反骨心」だった。現役時代は「打倒巨人」を公言し、気迫を前面に押し出す強気のピッチングで長嶋、王を擁するV9巨人に向かっていった。指揮官になってもそのスタイルは変わらない。ふがいないプレーをした選手には鉄拳制裁もいとわず、納得のいかない判定には猛抗議で、乱闘になれば真っ先にベンチを飛び出した。半面、選手に対する愛情も人一倍。裏方さんらへの配慮も欠かさず、選手の妻たちは星野氏からの誕生日プレゼントに驚き、涙した。人間味にあふれた指揮官だった。

 そんな星野氏の人柄には、球界のみならず政財界など、多くの人たちが引きつけられた。阪神シニアディレクター、楽天副会長でのフロント時代はそうした人脈を生かし“優れたGM”としての手腕も発揮した。

 健康面では阪神監督時代、高血圧に悩まされたことが退任の大きな理由の一つとなり、楽天監督時代は持病の腰痛を悪化させ、難病の腰椎椎間板ヘルニアと胸椎黄色靱帯骨化症と診断され休養。これが退任につながった。とはいえ、今回の病気については周囲にはほとんど知らせておらず、それだけに衝撃が広がっている。

 相手が強く、巨大であればあるほど闘志を燃やしてきた星野氏。ただ、そんな燃える男も、病魔には勝てず。「夢にまで見た日本シリーズ」は“遺言”となってしまった。球界が失ったものは、あまりにも大きい。

【プロフィル】ほしの・せんいち 1947年1月22日、岡山県倉敷市生まれ。右投げ右打ち。倉敷商、明治大を経て、68年ドラフト1位で中日入団。当初の背番号は22だったが、入団3年目にエースナンバーの20に変更。先発、リリーフで活躍し、リーグ優勝した74年には15勝9敗10セーブの成績を挙げ沢村賞を受賞した。引退後は中日、阪神、楽天の監督を歴任。中日で88、99年、阪神では2003年にリーグ優勝。楽天では13年に球団初のリーグ優勝と日本一を達成した。08年の北京五輪では日本代表監督も務めた。監督通算1181勝は歴代10位。03、13年には正力松太郎賞を受賞。昨年1月には野球殿堂入りを果たした。


ちょっと待ってよ,星野さん。
先月は元気そうだったじゃないの・・・。
それがどうしてこんなことに!?

テレビやネット上でこの訃報がたくさん報道されているけれど,受け入れられないでいる自分がいます。
なんだか以前にもこんな気持ちになったことがある・・・と必死で考えていたら,思い出しました。

あのときです!

2013年11月3日,マウンド上には無敵だったまーさん。
バッターボックスの矢野選手に対して投げる・・・・
「ちょっと待ってよ!日本一になっちゃうの?まだ心の準備ができていないよ・・・」
と焦る私を尻目に,空振り三振で日本一!

そうです,心の準備ができていないんです。
心の準備ができていない点では同じですが,あのときは次に最高の幸福感が来ました。
しかし,今は大きな大きな喪失感でいっぱいです。

こういうことを書くと失礼かも知れませんが,もしもノムさんだったとしたら高齢ということで心の準備はできていました。
でも,星野さんは70歳,しかも元気そうな姿を見せていました。
人に弱みを見せない「燃える男」としての美学だったのでしょうが,それだけにショックが大きいです。

私が子どもの頃は,「燃える男」が代名詞のドラゴンズのエースでした。
引退後はテレビのキャスターとして活躍する姿が見られましたが,いつも熱くて,でもどこか冷静さを感じさせる人でした。
監督就任後は,「闘将」の称号が表す通り,チームを鼓舞して3球団を優勝に導きました。
特にイーグルスでは,震災からの日本一という劇的な歴史を刻んだのは記憶に新しいところ。

監督退任後は,球団の副会長としてチームの編成に関わり,その成果が出始めたところでした。
それなのにまさかこんなに早く逝ってしまうとは…。
チームフロントの精神的支柱を失って,イーグルスはどうなるのでしょうか。

星野さんの弔い合戦の様相が濃くなってしまいますが,星野さんの教えに恥じない戦いをするのが今シーズンのイーグルスに課せられた使命です。

何かうまくまとめられませんが,今は感謝しかありません。
野球を愛し,野球の神様に愛された星野さん,今まで本当にお疲れ様でした。
これからは最愛の奥様とゆっくりお過ごしください。


最後に貼っておきます。
2013年11月3日,日本一の胴上げ
胴上げ



野球の神様,星野さんを連れて行くのが早すぎるよ・。・゚・(ノД`)・゚・。
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